弔旗掲揚が「政治色があるものではない」と断ずる理由は
まさに「神格化」
アベさんは自民党の議員として亡くなったんでしょ?いわば殉職。
で、その方の死を悼むことについてはまったく問題ないことだとは思うのだけど、その思いに(かこつけて)周囲を無作為に巻き込むのは思慮が足りないと思うのよね。
日本の一政党の議員が亡くなったことを、日本全国の(学校を含む)公共施設で弔旗を掲げて追悼するのは、十分に政治色の濃い演出だと思うのよさ。
で、も?福岡市教育委員会は「政治色があるものではない」と断言しちゃった。なぜかというと、彼らの思いの中ではもうアベさん政治的立場を飛び越えた「神のような存在」になっちゃっているからなんだよね。たぶん。
価値観の違いのすり合わせは大変だ。。。
ところでレジ袋有料化って
けっきょく。。。?
レジ袋有料化って、たしかレジ袋の利用削減を目標としていたかと思うんだけど、だれか検証した?してなくない?
有料化によってそれまでサービスで扱っていた小売業の収益源にはなったが、有料化に伴う管理の手間が増えたぶん、トータルコストはトントンぐらいではないか?
一方、消費者の側でレジ袋の利用が削減されたかというと、私の体感では
たいしたことない。
だれかちゃんとした統計とってくれよ!www
たしかにエコバック使う人や「マイカゴ」持ってくる人も見かけるが、レジ前に置かれている有料レジ袋を取り出す人の数はさほど減っているようには見えない。つまり意識の片隅に「利用削減」はあるかもしれないけど、かつて声高に有料化を推し進めた人たちの思っていた未来には、なっていないんじゃないかなあ。。。
と、思うのよ。
今の日本でこんなことが起こるなんて
信じられない?うそでしょ?
同じようなシチュエーションはドラマや映画で散々見ている。情報はネットにたくさん転がっている。海外では戦争という「憎しみの象徴」が現在進行形で起きていて、それが毎日トップニュースとして報道されている。
マンガやアニメでは多様性どころではない様々な「極端」が「表現の自由」のもとに描写、販売され、実社会の人々の間にギスギス感を増幅させている。「愛と友情」は表向きのテーマだけど、悪役がしっかりと悪役でいなければ、それが引き立たない。結果として悪役に憧れを抱いてしまうような層だって、少なからず存在する。
条件は揃っている。やろうと思えば誰だってできる世界だ。
じゃあなんで人々は、起きた惨劇を「信じられない、ありえない、考えつきもしない」と平然と言ってのけるのか。日本人の「本音と建前」が顕著に現れている部分だろう。